外国人魅了の旅館館主「日本の家庭見せる」ありのままのおもてなし

桜の季節になり、観光客がますます増えてきた東京・上野。そこからほど近い下町の風情が残る台東区谷中(やなか)に、外国人客が9割という小さな和風旅館がある。これまで89カ国、延べ17万人が宿泊し、年間稼働率9割。外国人客を受け入れることで経営を立て直した館主に、2020年東京五輪の「おもてなし」のカギと、働くことの持つ意味を教わった。 


 「フェア・アー・ユー・ゴーイング・トゥデー?(きょうはどちらへ)」


 旅館「澤の屋」の館主、澤功(77)は毎朝、フロントで観光に出る外国人客に声をかける。この日はフランス、カナダ、イタリアなど6カ国の客が滞在。コミュニケーションは簡単な文法や単語。しかし、それで十分。地下鉄に乗るというイタリア人には路線図を渡し、博物館に行くというフランス人には休館情報を伝えた。澤に見送られ、外国人観光客らは笑顔で出掛けていく。


 客室数12、共同の風呂が2カ所の小さな旅館。朝食や清掃などは息子夫婦が取り仕切る。澤はフロントで、会計業務や予約の電話を受ける。


 仕事の合間に、宿泊客のアンケートを集計。「パソコンができないから」と、用紙にはアナログな「正」の字。宿泊客の国籍、人数、職業、予約の窓口などを丁寧に記す。データは、外国人客の受け入れを考えている同業他社の宿に無償で提供している。


 「もっと外国人を受け入れる宿が増えるといい。これは仕事じゃなくて、私が好きでやっている」と、自分の利益にはならない作業を楽しそうに続けた。


 銀行員だった澤が、旅館の一人娘に婿入りしたのは、東京五輪が開催された1964年。修学旅行生や出張者を受け入れ業績を伸ばしてきたが、70年代に入ると、増えてきたホテルに押されて客足は減り続けた。


 82年、宿泊者ゼロの日が3日続き、いよいよ転換を迫られた。以前から外国人受け入れを助言してくれていた旅館を見学に行ったところ、客があふれていた。言葉は簡単な英語だった。「これならできるかもしれない」と決意。外国人の受け入れを積極的に行っている旅館グループに加入し、パンフレットに名前を載せた。部屋は畳敷き、風呂は共同。外国人が来るのか不安もあったが、予約はクチコミで増え続けた。


 ポイントの一つは家族経営だった。以前、「澤の屋で一番面白かったのは朝、子供が泣きながらバスに乗せられることだ」と言ったフランス人客がいたという。孫たちがぐずり、通園バスに半ば力ずくで乗せられる。日本の家庭ではよくある光景。外国人客は、日本の普通の家庭や文化をとても楽しんでくれた。


 3度目の宿泊というイタリア人はこの日、宿の魅力を「伝統的な部屋、アクセスの良さ、家族がファンタスティック」と評した。3月にはひな人形、5月には五月人形を飾る。現在、中学3年生の孫は作文に「将来は旅館をやる」とつづった。


 さらに、外国人を引きつけているのが、地域との交流だ。旅館では夕食を提供せず、宿泊客は町に出て食事をする。宿周辺の飲食店も英語や写真付きのメニューを用意し、地域で外国人を受け入れている。町の活性化にも結びつけた澤は、国土交通省の「観光のカリスマ」にも選定されている。ただ本人は「少人数分の夕食は材料費や手間がかかるからやめた。町おこしなんて違う。町に助けられているんです」と笑っている。


 20年には再び東京に五輪がやってくる。「うちだけでなく、どこの宿でも外国人を受け入れるといいね」。澤の屋のような客との交流が至る所で見られることを楽しみにしている。「おもてなし」に代表される日本のホスピタリティーを成功させるカギは、澤の屋のような「家族」「地域」にあるのかもしれない。


 経営を立て直した澤には、事業拡大やチェーン展開の話が舞い込むという。「欲をかいたら失敗する。私は一度、家族を食べさせられなくてどん底を見た。家族が食べられて、お客さまが来てくれる。分相応でいい」と首を振った。


 仕事とは利益追求や目的達成だけではない。宿泊客が楽しんで、予約も増えて、家族で生活ができる。地域を助け、また、助けられる。地に足が着いた暮らしの中にも、仕事の一つの形がある。


出典:スポニチ

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2015/03/16/kiji/K20150316009989720.html

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