インバウンド好調の大阪で、上方文化やローカルアイデンティティの発信が始まった

■来館者の半数以上が外国人という「住まいの歴史と文化の専門ミュージアム」

 

インバウンドの勢いは関西圏でも依然、顕著だ。一方、観光地で遊んだり、ドラッグストアで買い物をしたり、市場で食べ歩きをしたり…でなく、もっと日本を知りたい、体感したいと思う人も増えている。

その一例が「大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいのミュージアム)」(以下、今昔館)。ここは、2001年に開館した「住まいの歴史と文化」をテーマにした専門ミュージアムで、およそ200年前の大坂(当時は大阪ではなく“大坂”)のまち並を実物大で復元している。

 

今昔館の年間利用者は、2014年度36万人から15年度55万人へ急増(16年度は集計中)。そのうち半数以上が外国人だ。

みな、スマートフォンやカメラで気軽に館内のあちこちを撮っている。浴衣の着付けサービス(30分・500円)があり、1日330人の枠が毎日、完売だ。江戸のまち並の中で、浴衣姿を自撮りしてWEBで発信すると、それを見てさらに来館が増える。館内で上映するフィルムには日本語、英語、中国語、韓国語の字幕が付けられ、わかりやすい。

 

長屋や路地に入り込んだり、町家の建具や展示物を手にとったり、暮らしの目線で楽しめるのが今昔館の魅力だ。「歌舞伎や能狂言、茶道、華道などの古典にいきなり参加するのは難しいが、今昔館は市民の暮らしや住まいを扱っているので入りやすい」と谷直樹館長は話す。

来館者への調査では「観光スポットとしてではなく、日本を知りたい、日本人がどういう暮らしをしているのかを知りたくて今昔館に来た」人が多いことがわかった。

「日本という国や大阪というまちの原点がどこにあるのかを知りたがっています。けっして刹那的に楽しもうとしているわけではないことを、私たちがきちんと考えないと」と話すのは、大阪市立住まい情報センターの開設から関わり、今昔館の歴史を良く知る弘本由香里さん(大阪ガスエネルギー・文化研究所(略称CEL)研究員)だ。

 

大阪の原風景の中に参加できることを楽しむ外国人

 

この今昔館で外国人を対象として、2017年2月4日~6日に行なわれた「大阪・和の暮らしを体験する会」には、3日間で17ヶ国・58人の外国人が参加した。

参加者はまず、和服を着ることから始める。あらかじめ申告した身長と洋服のサイズに応じて、長襦袢、着物、帯、足袋、草履など和装一式が揃えられており、着付師に着せてもらう。美容師が髪を結い上げて、かわいい髪飾りをつける。イスラム圏から参加した女性は、ヒジャブ(頭を軽く覆う布)を着用したままで和装姿になる。

 

着付けが終わると、今昔館で江戸時代の風呂屋や商家、長屋を見てまわる。今回は、「大坂町家劇場」(演出構成・台本 上田一軒)と称して、男優や女優、ボランティアの町家衆が、薬屋の旦那さんやご寮さん、手代、大工、長屋のおかみさん、青物売りなどに扮してまちで演じている。参加者はいわば江戸時代にワープして、登場人物の一人として演劇に参加する形だ。

 

築96年の町家で上方文化の粋を体感

 

見学が終わると着物を脱ぎ、10分ほど離れたところにある吉田家住宅に移動する。ここは1921年に建築された築96年の木造住宅だ。敷地の真ん中に家主の主屋があり、路地をはさんで15戸の木造の長屋が並ぶ。数年前に耐震改築が行なわれ、今でもごく普通に日々の暮らしが営まれている。

2008年に国の登録有形文化財に登録された家主の家で、参加者は「書道」「茶の湯」「上方舞」を体験する。

 

縁側の向こうに小さな庭。障子や襖で空間を仕切る日本の住まいは開放的で、外と内の境界があいまいだ。床の間には掛け軸や生け花、違い棚にお雛様。

襖を閉めて部屋を分け、書道と茶道のワークショップが始まる。閉め切っても、欄間を通して隣室のあかりや気配が伝わる。

「釘を使わない工夫、収納としての箱階段、通風や採光になりつつプライバシーを守っている格子などに日本人の知恵を感じた」と女子留学生。日本の住まいや暮らし方にみな興味津々だ。

 

書道の部屋では、書道家に筆の使い方や紙のおさえ方を教えてもらいながら、お習字を楽しんでいる。なかなか上手だ。

茶道の途中で「足を崩してもいいですよ」と言われても、みなきっちり正座している。正客を務めるのは中国人の若い男性で、挨拶の仕方やお茶の作法を教えてもらいながら抹茶を飲む。その後、部屋を開け放し、襖を取り外し、屏風を置いて舞台をつくり、上方舞の「黒髪」や「江戸土産」を鑑賞する。

 

「美しく、幻想的」「でも、舞の仕草の意味がよくわからない」。感想はいろいろだ。

 

■市民一人ひとりがフレンドリーに外国人と交流しながら共感する

 

この「大阪・和の暮らしを体験する会」のプロジェクトは、内閣官房オリンピック・パラリンピック推進本部事務局の委託によって、平成28年度オリンピック・パラリンピック基本方針推進調査の一環で行なわれた。

「集客施設として、来館する客を“飲み込む”だけではなく、こちらから“まちへ出ていく”こともこれからは大切」と考えている今昔館は、2014年からCELと「包括的な連携協定」を結び、博物館を地域に広げるための恊働を始めた。今回のプロジェクトは、その一環でもある。

 

池永寛明CEL所長は、「住民の関心を短期で集める打ち上げ花火的なイベントでは、どこの地域も似たような内容で、その地域ならではの『必然性』や『継続性』がない」と指摘する。さらに、「昔からある佳きものや美しいもの、新たなものや外からのものを加えてアップデートしたもの。内の軸と外の軸、過去の軸と未来の軸を融合して新たな価値を創造しようと、継続して地域文化を『耕す』ことで、まちを再起動させることが必要なのではないでしょうか」と池永所長は提言する。

 

体験会が終わった2日後、2月8日には、大阪市立住まい情報センターで「上方の生活文化を考えるシンポジウム」が行われた。

オランダやアメリカの領事、歴史学者、大阪で働いている外国人、体験会に参加した留学生、音楽家、江戸時代の接待料理を再現した板前、神社の祢宜など多くの人が参加した。

 

大阪流の「おもてなし」についても議論が出た。

谷館長は「市民の一人ひとりがフレンドリーで、特別に外国語を話せなくても、できるだけわかりやすく日本語で伝える。頭でなく体で表現する。会話を楽しみながら売り買いをする。それが東京とは違う大阪流のおもてなし」と話す。

 

シンポジウムではある留学生が、「私は少数民族の出身で、経済の発展に伴い、自国では民族の生活文化を失いつつある。今回の催しで、承継する生活文化とは何か考えさせられた」と発表した。

 

■地域文化を発信し、まちを再起動させていく

 

そもそも「上方文化」とは何なのか。

 

17世紀以降に京・大坂地方を「上方」と呼び、水陸の交通が便利だった大坂には全国の物資が集中。日本経済の中心地、天下の台所として成長するにつれ、豊かな町人文化が育まれた。

井原西鶴や近松門左衛門が活躍した元禄文化が過ぎた後も、学者や文化人を多く輩出。そんな大坂では、華やかな芸術や技術の分野にとどまらず、「衣食住」など暮らしをとりまく生活文化そのものが発展し、それらは「粋(すい)」という言葉で表されるようになった。東京の粋(いき)に対して、上方は粋(すい)だ。

こうしたルーツをもつ、普段の「暮らし」や「住まい」を体感してもらうことで、上方で培われた文化、ひいては大阪というまちのアイデンティティを伝えていけるのではないか。今回のプロジェクトはそれを問いかけている。

 

外国人が今昔館で再現されている唐物屋や本屋、薬屋に興味を示すのは、そこにヨーロッパから伝来した医薬品や道具、日本から欧州に流出した浮世絵があり、自国と日本の間の交流の歴史を知ることができるからだ。

また、アジアから来る人は、自国と日本の住まいと暮らしに関する共通点や違いを見いだすことができるので、感動が多重的になるようだ。

「きちんと理解していただき、双方がコミュニケーションすることで、これからの観光のあり方を変えていけるのではないでしょうか。日本そして大阪が何を発信したらいいのかを知るきっかけにもなるはずです」(弘本さん)

「今はまだ、今昔館と吉田家住宅のように、点と点でつながっただけ。これをどう地域に広げていくか、博物館が内向きでなく外向きになることで、新しいまちづくりのきっかけにできれば…」(谷館長)

「持続的に地域を活性化・発展させていくためには、自分のまちのことを誰もが“自分事”として考え、行動し、地域の商業・産業が生まれ、地域経済がまわるように、地域を再起動しなくては」(池永所長)

 

過去から現在、そして未来にまちをつなげていくためにも、根底にある、その地域ならではの「地域文化」が鍵となる。

 

国内外の人と情報が集まって、物の交易、知の交換、人の交流が促され、その結果、新しい価値を創造できる「トランスファー文化」こそが古来、上方の本質にあった。上方に行けば、何か新しいものを生み出せると思ったから、人は集まった。

 

そんな地域文化を再び起動できるか…。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、日本や各地域が、それぞれがもつ文化や価値をどう発信するかが問われている今、今昔館は時代を少し先取りして一石を投じたのではないだろうか。

 

出典:ライフホームズプレス

http://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00487/